ティーツリーオイルについて

ティーツリーオイルとは

ティーツリーオイルは、薬用植物である Melaleuca alternifolia の葉を水蒸気蒸留で抽出したエッセンシャルオイル(精油)です。

 

オーストラリアで広く使われている「ティーツリー(ティートゥリー)」という俗名は、低木や樹木の大きなグループである Myrtaceae(フトモモ)科に属する近縁種の Leptospermum(レプトスペルマム)属と、 Melaleuca(メラレウカ、コバノブラッシノキ)属によります。

 

「ティーツリー」という名前は最初はキャプテン・クックによって使われました。 彼の船員たちがレプトスペルマム属の一種の樹の葉をお茶の代用品として使い、彼らはそれを「スパイシーでリフレッシュしてくれる」と感じました。

 

オーストラリア中にティーツリーの300種もの変種が広く分布しており、たくさんの樹から治療特性のあるエッセンシャルオイルが抽出されていますが、医療的特性が顕著な種は Melaleuca alternifolia だけです。

Melaleuca alternifolia は常緑樹で6mほどに成長し、春に5cmほどの白色の花が咲きます。

 

Melaleuca alternifolia の樹は、オーストラリアのニュー・サウスウェールズの北岸、特にリズモアの近くのリッチモンド川流域に自生しています。 他の種と識別するのは極めて難しく、特に Melaleuca linariifolia とは原生地がまったく同じです。

 

一部の Melaleuca alternifolia の樹はニューキャッスルとシドニーの近くでも見ることができますが、植物学上では北方のものと同種であっても、採れるエッセンシャルオイルはかなり違うものになります。

 

北方の樹はテルピネンー4オールの含有量が高くシネオールの含有量が低くなりますが、南方の樹はシネオールの含有量が高くなります。

シネオールは風邪の症状を軽減させますが、粘膜と皮膚に対して刺激性があるため、怪我や炎症の治療には適していません。

 

ティーツリーオイルの生産の初期の頃は、同じ種であるのに一部の樹から採れたエッセンシャルオイルはシネオールの含有量が高いために皮膚を刺激し、テルピネンー4オールの含有量が低い樹から採れたエッセンシャルオイルは治療特性が著しく低かったため、品質管理を維持するのがとても大変でした。

 

1948年に、ティーツリーの研究者であるペンフォールド、モリソン、マクカーンは、ニュー・サウスウェールズの北岸から無造作に49本の樹を採取したところ、そのシネオールの含有量に6〜16%の差があることを発見しました。採取したティーツリーの樹は植物学上では見分けがつかないものでしたが、治癒効果には大きな違いがありました。

 

オイルの品質に一貫性を確立させるために、ティーツリーをシネオール含有量により分類するべきだということに決まりました。

オーストラリアのMelaleuca のオイルのスタンダード・ナンバーであるAS2782ー1985は、オイルのテルピネンー4ーオール含有量が30%以上であること、シネオール含有量が15%以下であることを義務づけています。

 

オーストラリア・ティーツリー産業協会(ATTIA)は Melaleuca alternifolia からのみ抽出され、正式な基準に達しているエッセンシャルオイルには証明書を発行しています。不正な調合品を購入するのを避けるため、「Melaleuca alternifolia」と表記されている、信頼のできるブランドの商品だけを購入することが大事です。

 

ティーツリーオイルは非常に複雑な物質で、少なくとも48種類の有機化合物を含みます。主成分はテルピネン、シメン、ピネン、テルピネオール、シネオール、セスキテルペン、セスキテルペンアルコールです。

 

また、ティーツリーオイルは自然物質としては初めて有機化合物ビリジフロレンを含むことが発見され、自然界には珍しい ビリジフロレン(1%)、ベータテルピネオール(0.24%)、Lーテルピネオール(痕跡成分)、アリヘキサン酸エステル(痕跡成分)の4つの構成要素があります。

これらの物質は単独では効果はなく、これらすべての化合物が共に働くことで、相乗効果により最大限の治癒効果が生まれます。

 

ティーツリーオイルは皮膚感作を引き起こすことはなく(※1)、また皮膚への長時間の接触実験の後でも明らかな毒性は観察されませんでした。発がん性はほとんどないか、まったく発がん性の危険がないことを示しました。

そのため、安全性の高い数少ないエッセンシャルオイル(精油)とされています。

一部の人々に皮膚刺激が起こることが観察されましたが、使用濃度に関係すると考えられます。

(※1 近年、シネオールによる過敏症やアレルギー性過敏症が報告されています。)

 

ティーツリーオイルのテルピネンー4オールの含有量が高いものほど殺菌作用と殺真菌作用があり、皮膚刺激の発生率が減少します。

シネオールの含有率が高くテルピネンー4オールの含有率が低いものは治療特性が劣るとされます。

 

世界で最高の品質のティーツリーオイルは、サーズデイ・プランテーションが1976年に設立された土地でもある、ニュー・サウスウェールズの最北岸ベリナの近くのバンガワルビン川周辺の美しく人里離れた沼地に育つ樹から採れたオイルです。

このオイルは、つねに40%以上のテルピネンー4オールと4%以下のシネオールの含有量を示します。

 

オーストラリアのティーツリーは、原液で使用することもできますが、水によく混ぜて使用することもでき、15%のティーツリーで使用すると数多くの効果があります。

ティーツリーオイルは、にきび、吹き出物、関節炎、挫傷、打撲、火傷、日焼け、切り傷、膀胱炎、デンタルケア、口内炎、皮膚炎、真菌感染症、ヘアケア、虫刺され、筋肉痛、呼吸器感染症、カンジダ症など幅広く使用することができます。

 


ティーツリーオイルの歴史

約4万年もの間、アボリジニーの人々はオーストラリア大陸で自然環境と共に調和をとりながら暮らし、病気や怪我をしたときには医療的特性を持つ植物を治療薬として使用していました。

 

バンガワルビン川周辺のニュー・サウスウェールズの北東部に住むバンジャラン・アボリジニーは、沼地に豊富にあるティーツリーが高い治療効果があることをよく知っていて、切り傷や怪我、皮膚の感染症にティーツリーの葉をつぶしたものを患部につけて温かい粘土のパックで覆って使用していました。

ティーツリーオイルは、長い間アボリジニーと少数の白人のみに知られた治療薬でした。 

 

1920年代の初頭、政府の化学者でシドニーの技術応用科学博物館の経済科学者である、アーサー・ペンフォールドという科学学会評議員は、ティーツリーの高い殺菌力に気がつき、1922年に研究所での実験を始めました。

1925年に、ティーツリーオイルはフェノールよりも13倍強い殺菌作用があり、毒性が少なく、皮膚刺激性がないことが発表され、さらに研究が進んでいきました。

ほとんどの殺菌剤はバクテリアと共に皮膚組織も破壊してしまいますが、ティーツリーオイルは皮膚組織を傷つけることなく殺菌作用があることがわかりました。

 

1930年代に、 Melaleuca alternifolia のオイルは「ティー・トロル」として、またオイルの水溶性懸濁液を「メラゾル」として知られ、世界中で歯科医により膿漏、歯肉炎、神経キャップ、出血のために科学的に承認された治療として使われました。

また医師により、喉の感染症、婦人科系の症状、化膿を持つ感染症に使われました。そして、輪癬、カンジダ、爪囲炎などを含む広範囲の皮膚真菌感染症に著しい効果がありました。

 

第二次世界大戦が始まるころまでに、ティーツリーオイルはもっとも重要な必需品になっていたため、伐採者やオイル製造者は兵役を免除されました。政府はオイルの供給量を増やして軍隊と海軍に十分な供給ができることを望みました。

 

しかし、ティーツリーオイルは十分な供給を維持することができないこともあり、代用品の合成殺菌剤が開発され、戦争が終わるころには Melaleuca alternifolia の純粋なオイルは、大量に供給することができる合成殺菌剤に置き換わっていました。

 

1950年代の初頭には、バンガワルビン峡谷には3つの蒸留器しか稼働していませんでした。

1960年代のヒッピー革命からの流れで、人々は化学製品による環境汚染や薬品の副作用など、現代科学に懸念を抱くようになりました。

自然な製品に目が向けられ、天然のティーツリーオイルも再び注目されるようになりました。

 

1967年、クリストファー・ディーン一家が商業規模での生産ができるサーズデイプランテーションというティーツリー農場を開きました。これにより、ティーツリー産業が大きく変化しました。 

 

クリストファーは、1970年代初頭にアフリカで数ヶ月を過ごしたとき、足の爪の真菌感染症にかかりました。彼はたくさんの治療薬を試しましたが治癒せず、真菌は広がりつづけました。彼がロンドンに来たとき専門家の医師に診察してもらったところ、足の爪をはがす以外手の施しようがなく、それは皮膚を傷つけるので足の永久的損傷のリスクがあるといわれました。

クリストファーの兄がロンドンに来て、彼がいつも携帯しているティーツリーオイルをクリストファーの足に塗布したところ。4日間のうちに感染症は完全に消えました。

そのことからクリストファーは、この奇跡のオイルを他の人たちも手に入れることができるようにすることを決心しました。

 

最初は、クリストファーと彼の妻は、少量のオイルを蒸留して友人たちに供給していました。その後日曜市場に露店を出したところ成功をおさめ、数年以内にオーストラリア中のヘルス・ストアと薬局がディーン一家のオイルを売るようになりました。

 

1985年にはティーツリーオイルは年間10tしか生産されませんでしたが、1998年には需要が年間700tに達しました。ティーツリーの原生地とかなり違う気候のいくつもの地域に農園が設置されて世界市場へと広がりました。

 



この本は、ティーツリーオイルの歴史や、収穫、植林の方法、オイルの詳しい使用法など、

ティーツリーオイルのみについて書かれています。


スーザン ドゥルーリー BABジャパン出版局 2006-6